播州そうめん発展の由来

七世紀の606年・推古天皇14年に聖徳太子が推古天皇より播磨国揖保郡の水田を賜り、その縁で当地に【斑鳩寺】が建立されました。
斑鳩寺の寺院日記『鵤庄引付』中、室町時代の1418年・応永25年9月15日の条に『サウメン』の記述があり、これが播州そうめんに関する最も古い記述です。

江戸時代の安永年間(1771年〜1780年)には本格的なそうめん造りが行われるようになり、龍野藩の【許可事業】となりました。
文化・文政年間(1804年〜1818年~1830年)には播州神岡郷の森崎忠右衛門と宝山常右衛門が、大和三輪からその製法を導入し広め、製造農家の組織化を図ったと伝えられています。
その後、生産量が伸びるにつれて、粗製乱造で産地の信用を落とす者も現れるようになったため、1865年(慶応元年)には播州の素麺屋仲間が集まり、【素麺屋仲間取締方申合文書】が交わされ、品質などについて取り決めを交わし、厳しい管理が行われました。

この地播州は中国山脈より南流する河川流域の土壌も豊沃で、ここに産する上質な小麦は粘力に富み、赤穂に代表される瀬戸内沿岸の良塩、鉄分の少ない水など、素麺づくりに欠かせない質の高い素材に恵まれておりました。
加えて、瀬戸内海性気候が、素麺を乾燥させる【門干し】作業に向いており、揖保川・林田川・夢前川・市川等の各河川の流域の急流を利用した水車製粉も盛んで、勤勉な播州人の労働力もあり農閑期の農家の副業として手延べそうめんの生産は徐々に高まって行きました。
一方で、明治中期には量産とコストの低減を目指しての機械製麺法も始まり、両業相集う「播州めん」として全国最高の麺産地が形成されました。
現在では、乾麺と言えば播州、播州と言えば乾麺を連想されるに至りました。

創業より100年以上にわたり、最高の麺を作り、製品の改良に努めております

代表取締役社長 田靡 正直

代表あいさつ

代表取締役社長 田靡 正直

姫路城・別名白鷺城(しらさぎ)ともいうその姿は、白鷺が両翼を拡げた様に優雅にして華麗、正に天下の名城である。
その起源をたずねると、1346年(正平1年)赤村則村・貞範父子が「姫山の城」を築いたことに始まるが、その後数代を経て1580年(天正8年)豊臣秀吉が黒田孝高に代わってこの城に入り、新たに縄張りをさせ3重の天守を築くに至って、城郭とその規模は整った。
関ヶ原の役ののち、池田輝政が中国・四国方面の鎮護の任務を帯びてこの地に封ぜられ、姫路城の大改造を企て1601年(慶長6年)土工を起し、1608年から天守の築造にかかった。現存する天守閣はこの時のものである。

当社はその北麗に明治年間に業を興して以来、当播州地方の温暖な気候、豊かにして良質の水、又瀬戸内の塩に恵まれ最高の麺作りをモットーに幾多の苦難に屈する事なく製品の改良に努め、麺業界のリーダーとして時代の一歩前を行く製品を次々と世に送り出し、今日極秘の製法をもって製造した最も注目される、そうめん・ひやむぎ・うどん・きしめん・そばを作り出しました。

これらの製品を心ゆくまで御賞味・御愛用お願い申し上げます。